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EBMをどのように診療に生かしているか

 名古屋市南区 はざま医院 伊藤伸介
2005年1月,東京医科歯科大学で行われましたEBMセミナーの「患者と考えるEBM」と言うシンポジウムでパネラーをしました.それが縁で乳がん患者さんの会であるイデアフォー(http://www.ideafour.org/)より寄稿のご依頼を受けました.そこで会誌である「イデアフォー通信,第54号 P4〜6」に投稿いたしましたので,以下にイデアフォーの許可を得て全文を紹介させていただきます.
(1)EBMとの出会い

  私は1982年に医学部を卒業し勤務医を続けておりましたが,1996年に高齢になった父を手伝って内科小児科医院を開業しました.2年を経たある日,臨床疑問に対して世界中から医療情報を収集し臨床に役立てている開業医の取り組みが,テレビ番組で紹介されていました.何だかどこかで見たことのある人がテレビに出ているなと思ったら,名古屋第2赤十字病院に勤務していたころ一緒に働いていた仲間で,今では診療所医師をしている名郷直樹先生だったのです.番組では一つの例が紹介されていました.喘息急性発作に気管支拡張薬の点滴を行っていたが,各種情報を収集している内に効果は余り期待できず,有害性があるので使用しなくなったとのことでした.呼吸器専門医を称していた私ですが,当時その薬剤の点滴を行っていましたので,外科出身の彼がこのような情報を自分の診療所に居ながらにして得て,既に応用していると紹介されているのを聞いてショックでした.どうしたらこのようなことを学会などに足を運ばなくても,自分の診療所で出来るようになるのか,非常に興味を持ちました.このときEBMと言う言葉を初めて聞いたのです.EBMとはevidence based medicineの略で,「科学的根拠に基づく医療」と訳されています.EBMってなんだ,開業医でも最先端の医療情報が自分の診療所に居ながらにして得られるのか,興味と疑問が私の中に渦巻きました.そして彼が主催する愛知県臨床疫学研究会の勉強会に参加するようになりました.

(2)EBMの勉強会活動について

  愛知県臨床疫学研究会は,自治医科大学の地域医療学教室の先生方が主催するEBMの勉強会です.愛知県,岐阜県,北海道など日本各地に赴任し地域の診療所でプライマリーケアーに従事している自治医大の医師が,各診療所をNTTのISDN回線を用いてテレビ会議方式で中継し検討会を行うものです.テレビシステムのお蔭で同室に会して検討会を行っている効果があります(図).
  毎月1回づつ定期的に催される勉強会ですが,初めはEBMに関する専門用語が飛び出すと何が何だかちんぷんかんで戸惑うことばかりでした.しかし入門書を紹介してもらい自習したり,セミナーに参加して勉強している内に,段々理解が深まって来ました.1999年7月から毎月参加していますが,自分が司会をしなくてはいけない医師会主催の勉強会と重なった2回を除いて全て出席しています.EBMとこのテレビ会議の何かが私にフィットして,どうしても参加したくなる何かがあるのだと思います.このテレビ会議で行った検討のいくつかをホームページにまとめましたので,ご興味のあるかたはご覧ください.http://www.hazamaiin.com/EBM_top_page.htm

(3)EBMをどのように診療に生かしているか

 日常臨床から沸きあがる疑問は数限りなく存在します.医学そのものの進歩も日進月歩です.したがって事前に全てを学びつくして診療に臨むことは不可能だというのが私の実感です.もちろん大まかなことは医師会や学会が催す勉強会に参加することで知っておくことは出来ます.しかし学んだ範囲内だけの知識で診療をしていて良いのでしょうか.例えばAと言う疾患の治療法について勉強会で学んだとしても,勉強会では話題に上らなかった異なる治療法がその後開発されたかも知れません.「新しい治療法について先生はご存知ですか?」と患者さんから質問されたおり,どのようにお答えすれば良いのでしょうか.そんなとき大いに役立つのがEBMを用いた勉強法なのです.

(4)EBMへの期待

 EBMを自分の診療に応用するようになって一番変わったことは,自分自身で質の高い情報を引き出せるようになったことです.それまでは勉強会で得た知識が主でしたから,参加した勉強会で学習した範囲内の知識しか習得できませんでした.しかしEBMの手法を用いるようになり,解決できる疑問の範囲が一気に広がりました.

 次に楽になったことは,不確実であることが確率として数字で示されることが分かったことです.例えば,30歳の男性が発熱と臍の周囲が痛いと訴えて来院したとします.そこで腹部の触診を行ってMcBurney点(右下腹の虫垂があるとされている部分)に圧痛(圧迫したときの痛み)を認めた場合,虫垂炎の可能性についてどのように考えられるでしょうか.さらに白血球数(正常範囲は4000〜9000)が5000で増多が見られないとするとどうでしょうか.右下腹部の圧痛は虫垂炎を疑わせる所見ですし,白血球増多がないことは逆に否定する所見です.このような患者さんと遭遇したとき,EBMと出会う以前の私は不安で仕方ありませんでした.虫垂炎の所見とそうではない相矛盾する所見が同じ患者さんの中に同時に見られる訳です.これをEBM的に考えるとどうなるのでしょうか.

 右下腹部痛がある場合,虫垂炎が存在する尤度比*は8(JAMA.1996;267:1589-94より),白血球数が5000である場合の虫垂炎である尤度比は0.1です(Ann Emerg Med.1999;33:565-74.より).この2つの尤度比の積は0.8になります.これまでに私の医院で右下腹部痛の患者さんが虫垂炎であった確率はおおよそ5%でしたから,2つの所見から得られた尤度比0.8に,この5%をオッズ比に直したもの(0.05/1-0.05=0.053)の積を求めると0.0424になります.それを確率に戻すと4%と言うことになります.つまりこの患者さんが虫垂炎である確率は,同じ所見を示す患者25人につき1人となります.以上から考えますと,虫垂炎か否か診断を迷っていたのは診断能力が低かったためではなく,1人の患者さんの中に診断を支持する所見と否定する所見が同時に見られ,後者が虫垂炎である確率を打ち消したためと分かりました.不確実であることがどの程度不確実であるか数字として分かってくる.何とすてきなことでしょう.

(5)EBMの限界

 さて,EBMを始めて6年が経過し,治療や診断など様々な疑問の解決をEBM的に行ってきましたが,前述のような例を初めて経験したときのようなすっきり感が中々得られなくなってきました.EBMによって自分の医療に明瞭な道標が提示され続けるであろうと切望してEBMを続けていたのですが,現実は「疾患に対して明瞭な治療法や診断法を示すことは困難で,曖昧性を含んだ数字としての有効率や疾患である確率が示されただけ」でした.そして95%信頼区間**として示される曖昧性を患者さんに伝えることの困難性を実感し,なおかつこの曖昧性を眼前にしたとき,結局EBMを知らないころ疾患について直感的に患者さんに説明していた自分の説明と大差ないような状態になっています.

(6)幻滅を享受し統合する−医学は自然現象を扱っている−

 ある疾患である確率を一つの数字で表すことはできない.ある治療法が最善であると言い切ることはできない.EBM的手法を用いて世界中の論文から適切なものを選択し吟味した上でテレビ会議システムで皆で論じても,一つだけの結論に到達することはできない.このような困難性と遭遇している現在,私が感じていることは「医師が相手にしているのは自然現象なのだ」と言うことです.医学とは数学や理論物理学のような理論上の学問ではなく,気象学や地震学などと同様,人体や病原菌と言う生物を相手にしている自然科学なのです.

 そんなことは当たり前だと言われるでしょうが,少なくとも私は医学部での授業や医師になってからの勉強でこの曖昧性について学習する機会はありませんでした.しかしEBMによってそれに気が付くことができて本当に良かったと思います.皆さんの中には「なぜ医師は○○だと思う」とか「○○の可能性があります」としか発言せず,「○○病です.私に任せてください」と断定してくれないのか歯がゆく思ってみえる方も多いかと思います.しかし私は医学とは断定できない事象を扱っている学問であり,そのため前者のようにお話しするしかない限界があるのだと思います. 

 EBMと出会ってようやく私の医療に明瞭な道標が示されるという期待を持った時期がありましたが,その後「やはり医学と言うのは曖昧にしか結論できないのだ」という元に戻るような心境に到達している昨今です.しかし医療を生業としている訳ですから幻滅せずこれを享受し,EBMの良い面と医学の曖昧性を心の中で統合しながら,独断に陥らないようエビデンスに基づいた診療を続けて行きたいと思っております.
                                <著者注>

*尤度比

 尤度比とは,病気がない人々に対して病気がある人々で,検査結果が何倍陽性に出やすいかを表したものです

**95%信頼区間

 同じ研究を100回繰り返した場合,95回はこの範囲内に結果が収まるであろうとして示される区間.研究に参加した症例数から算出されます.例えば上述した右下腹部痛がある場合の虫垂炎が存在する尤度比8の95%信頼区間は7.31〜8.46,白血球数が5000である場合の虫垂炎が存在する尤度比0.1の95%信頼区間は0〜0.39です.これらの数字を使って虫垂炎の確率を計算するという作業は,もう訳が分からなくなるので,点推定値である8とか0.1を代用値として用いて計算した結果が25人に1人ということになる訳です.したがってこの25人に1人という結果も「推定値に過ぎない」ことを本当は銘記しておかなくてはいけなりません.