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今では町のお医者さん

日本マンドリン連盟会報誌 : 2000年4月1日号

1. はじめに
19998月某日,診察中であった私のところに,突然電話があった.

「先生,日本マンドリンなんとかの,高橋さまという方からお電話ですが,出られますか」
受付の事務員から尋ねられた.

「マンドリン連盟!ああ,もちろん出るよ」

私はわくわくしながら受話器を受け取った.

「こちらは日本マンドリン連盟の高橋と申します.第7回マンドリン独奏コンクールで1位になられた伊藤さんでしょうか.実は名古屋の榊原喜三さん(第3回独奏コンクール1位,マンドリン独奏のプロとして現在も広く活躍中.名古屋市内にマンドリンとギターの専門店を経営)からお伺いしたのですが,現在はこちらの住所でお仕事中とか」

懐かしい響きである.が同時に,かつてかなりの思い入れで打ち込んでいただけに,遠慮気味に現在のマンドリン連盟の状態を,何も知らない一般の方に説明するような口調でお話しされる高橋さんに,15年は長いなと感じていた.

「本部会報に独奏コンクール入賞者のその後の消息という特集を載せています.そろそろ伊藤さんの順番なのですが,お引き受け頂けますでしょうか.」

今では町の開業医である私に,この様な機会を頂いて良いものだろうか.遠慮がちに話を聞く私に,高橋さんはプロとして活躍している人もいるし,主婦業に専念している方もいると引き合いを出されてお勧めになられた.つまらぬ私のマンドリン演奏歴を,多少なりとも皆様にお話しする機会があっても良いのかもしれない.

「ぜひお引き受けさせて頂きます.」

という訳で今回の寄稿をさせて頂くこととしました.
2. 独奏コンクールに向けて
私とマンドリンの出会いは,大学入学と同時に勧誘されて名古屋市立大学ギターマンドリンクラブに入ったことにある.私は高校時代に,井上陽水や吉田拓郎などにあこがれて少しフォークギターを弾いていた.それがどう間違ってマンドリンクラブなのか.家庭的な雰囲気に引かれたこともあるのだろう.女性部員が6割くらいだった様な記憶がある.始めの半年くらいはフォークソングクラブ,空手部の3つを掛け持ちでしていたが,夏合宿が終わる頃にはマンドリンの虜になっていて,1日中練習をしていた.さて秋になり先輩方が騒ぎ出した.
「伸介よー.今度な,マンドリン独奏のな,リサイタルというものがあるのだけどな,いかないか」
三河弁(三河弁にもいろいろバリエーションがあることを知るのは,後日のことである)で誘われ,何がなんだかわからない内に,なかば強制的に連れて行かれた.それが先にご紹介した榊原喜三氏のリサイタルであった.確か中電ホールであったと記憶している.演奏の素晴らしさは正直言って覚えていない.榊原氏には申し訳ないが,マンドリンを始めて半年ではまだ理解できなかったのであろう.しかし全体的なものはしっかり焼き付いている.つまりマンドリンとピアノだけの演奏のダイナミックさである.大勢で仲良く合奏するのもマンドリン音楽.自分の演奏がすべて筒抜けになる,しかし個人の音しかないだけに,万全の演奏をすれば非常にダイナミックなものになる独奏もマンドリン音楽.自分という人間を人様の前にさらけ出すことに快感を感じなければ,独奏者にはなれないであろう.しゃべることが得意とか,運動が得意とかいうのとは違う.自分を人様に披露して,それに批判を求める姿勢である.入部して1年目の名古屋市立大学ギターマンドリンクラブの定期演奏会も終わる頃,私の心の中では独奏者になりたい気持ちが強く沸き上がっていた.実はその頃,マンドリンクラブは辞めて独奏の練習に専念したいと考え,一時退部を申し出ていた.それほどまでに強く,一途な思い入れであった.三年目にコンサートマスターという大役を何とか勤め果たした後,独奏の練習に取りくみ出した.

その頃名城大学に
「水田益博氏(私より1学年上.四国は高知出身.第6回独奏コンクール3位,7回コンクール5位)というすごっく(三河弁)マンドリンのうまい人がいて,何でも独奏コンクールで活躍しているそうだよ.」
という噂が聞こえてきた.その人との出会いが,私が独奏コンクールに挑戦するきっかけになったことに,この文面から察しがついた方も多いと思う.噂の水田氏とは,どんな人物であったか.何のことはない,ただのお兄ちゃんであった.とある女子大学のN子ちゃんにお熱を上げ,豪快に酒を飲む.庶民の代表であった.音楽の大家とは生まれつき普通の人と違う何かを備えて生まれてきた人と思っていたが,水田氏と接していて
「俺にも出来る」
という親しみが,俄然生まれてきた.水田氏は現在高知で家業を継いで,農業を営んでいる筈である.私は名古屋,何を書こうと逃げ切れると踏んでいる.その後N子ちゃんにそっくりのお嫁さんを貰ったと聞いている.おめでとうございます.話が脱線しました.水田氏の思い出話になり,気がついたらこんなに書いてしまっていました.
さて水田氏と出会って,私のコンクール挑戦の具体的目標ができたといって良いのではないだろうか.マンドリンを始めて4年目,東海学生マンドリン連盟合同演奏会で,独奏の機会が与えられ,ムニエルの演奏会用円舞曲を選んだ.ゆったりと丁寧に,でも曲想は十分に込めるという方針で,飯田昭彦氏(マンドリンクラブの同級生.指揮者をしていた)にギター伴奏をお願いし,そして曲作りのアドバイスを求めながら発表した.録音しては自分で自分の演奏を繰りかえし聞き,良かった点,至らなかった点を繰り返し分析した.
マンドリンを始めて5年目,運命の第7回日本マンドリン独奏コンクールの年である.課題曲はカラーチェの無窮動.73小節の間,16分音符がズラッーと並ぶ.最後の74小節目に始めて4分音符が登場する.この技術を聞かせるだけのような曲にいかに曲想を込めるのか.ダイナミックに,ときに繊細に,ピアノ伴奏者と共に曲作りに励んだ.技術的なものを克服すれば単純な曲であるだけに,あとはいかにミスのない確実な演奏を行うかがポイント考えた.しかし大きな舞台に始めて挑戦する私にとって,本番で上がってしまうのではないかという不安が常に付きまとった.そんなことを榊原氏と話していたところ
「こんなに練習したのに,上がってしまっては悔しいじゃないか.と思えるくらい練習するしかない.」
というアドバイスを頂いた.この言葉は,マンドリン演奏だけでなく,私のその後の人生で,緊張を強いられる場面に出くわす度に役立っている.
自由曲はマルチェルリのジプシー風奇想曲を選んだ.私の大好きな曲である.これも同じこと,ミスのない確実な演奏を目指したが,この曲にはダイナミックな上に緊張感という特徴を表そうとした.コンクール直前に2回合宿をした.山間の宿に泊まり,朝から晩まで練習した.六時半起床,散歩のあと食事,8時に練習を開始した.午前中は技術的な要素について,午後は曲想について,そして夜7時か11時までは,本番を想定して課題曲に続き自由曲を連続して演奏する繰り返しを,毎晩20回,時間にして4時間繰り返した.1日の練習時間は13時間で,私にはそれ以上練習することはできなかった.そんなことをしている内に,技術的なことは考えずに,頭の中では自分が聴衆になって自分の演奏を聞いていれば弾ける,そんな状態になった.もちろん部分部分に出てくる難しい個所で,指板を見ながら右指と左指の整合を考えながら弾く個所は一部残ったが.
1980年9月23日,水田氏と一緒に上京した私は,周りも自分も全く好成績を期待していない状態で,いつものように演奏して,控え室で1位になったことを知らされた.うれしいより先に,自分より苦労を重ねている方々を差し置いてこのような賞を頂いて良いものか,戸惑う気持ちでいっぱいであった.私の幸運は,榊原喜三,水田益博,飯田昭彦ら,エネルギーあふれる情熱の人達と出会えたことと,医学部であったために6年間の学生生活が与えられ,十分に練習時間が与えられたことであろう.
3. それぞれの岐路
  6年間の学生生活のあと(医学部は6年制である),医師国家試験に合格し内科勤務医として社会人生活が始まった.毎晩毎晩帰りは9時,10時.納得行く十分な練習と技術の維持はとてもではなかった.マンドリンを始めて8年目,医師になって2年目であるが,岐阜マンドリンオーケストラから招待演奏のご依頼を頂いた.マンドリン独奏者としての登竜門と考え憧れていた舞台であったが,丁重にお断りするしかなかった.またこんな事もあった.榊原氏にお誘い頂いてとある有名ホテルのレストランでの演奏をマンドリンクワルテットの一員として2週間にわたってさせていただいたが,ある日舞台に向かう途中急患で病院に呼び戻され,他のメンバーに迷惑をかけてしまったのだ.何とかマンドリン独奏者として生計を立ててみたいという夢と,医師として求められている責任の中で,多忙な毎日という現実に追われている内に,後者に身を投じるしかなかった選択は仕方のなかったことであろう.榊原氏が
「伸介君.医者という仕事は,辞めるにはもっいないよなあ」
というようなサインを何回か送って下さったことを記憶している.
マンドリンを始めて10年目,19855月中電ホールで佐々木敏氏(第10回独奏コンクール第1位)とジョイントリサイタルを開催した.企画してから半年間,期限付きの猛練習となった訳だが,その間も患者さん相手である私の仕事は,自由な時間を約束してくれなかった.内科勤務医という職業とマンドリン独奏という大業は私には両立でき得なかった.結果前者にますます没頭して行った.
4. そして現在
1996年,15年間の勤務医生活に終止符を打った私は,名古屋市南区で父の診療所を手伝って内科小児科医院を開設した.開業医といえば何だか昼休みに自由な時間がたっぷりあるとお思いの方も多いであろうが,さにあらず.往診,診療上の疑問点解決のための勉強,学会発表の準備(開業医でもやっています),診療報酬請求書の作製等々マンドリンコンクールのために行った合宿ではないが,1日正味10時間くらい働いているか勉強している.最近は結婚するべき友人は皆結婚したようで,結婚式でのマンドリン演奏の依頼もなく,独コンで使ったマンドリンを1年くらい前に取り出してみたら壊れていたので修理に持って行ったが,直ってきたと言う連絡もトンと来ない.そんなこんなでますますマンドリン界から遠ざかるしかないようである.この寄稿は診察室の机の上にあるPCで書いているが,BGMはモーツァルトである.マンドリンに出会ってから22年が過ぎようとしている.いつまでも熱中できる何かと接しながら充実した人生を送って行きたいと思っている.

現住所     〒457-0076  名古屋市南区道全町2-3-2  はざま医院                      

−お知らせ−


当時の演奏を集めたCD 伊藤伸介 マンドリンリサイタル 1977-1983を作成しました.曲目は下記の様です(全45分55秒)
  1. ソレア
  2. 幻想的円舞曲
  3. ジプシー風奇想曲
  4. スペイン風奇想曲
  5. G線上のアリア
  6. ポーランド風マズルカ
  7. 演奏会用円舞曲
  8. 無窮動
  9. セレナータ
  10. 苦悩
  11. クレーマークレーマーのテーマ
送料込みで2500円で発売しております.ご希望の方はご連絡ください
E-mail adress:info@hazamaiin.com