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南圭会
心臓病と分子生物学
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平成18年3月8日(水)

名古屋大学医学部保健学科 助教授
永田 浩三 先生

 分子生物学(molecular biology)という用語はイギリスの生物学者Kendrewが世に広めたと言われている。分子生物学は生命活動の普遍性と多様性を分子のレベルで明らかにする学問であり、遺伝学や生化学といった既存の学問を基盤にして生まれた。遺伝物質としてのDNAの発見により生命現象を分子をもとに論ずることの正当性が確立された。分子生物学では生命現象の根幹をなす遺伝情報の保持、伝達、発現に関わる事象の制御に関わる分子メカニズムを取り扱う。当初は大腸菌やウイルスなどがその対象となっていたが、組換えDNA技術が確立した後はヒトを含むあらゆる生物が分子生物学の対象となった。

 生物は細胞、増殖、遺伝という3つの要素をもち、真核生物は隔離された核の中に染色体DNAを有する。生物の遺伝はこのDNAという分子によって司られ、遺伝情報は塩基配列という形で保存されている。セントラルドグマによれば、遺伝情報は常にDNA→RNA→タンパク質の方向に流れるとされる。DNAから転写されたばかりのmRNA前駆体はスプライシングを受け、成熟mRNAとなってリボゾーム上でタンパク質合成反応の鋳型となる。ヒトの遺伝子は約3〜4万個存在するが、タンパク質は約10万種類以上存在する。つまり、個々の遺伝子の転写調節のみでなく、mRNAの選択的スプライシングによってゲノム発現の多様性が生み出され、個体という複雑な体制が構築される。

 PCRはDNAを増幅する技術であり、特定のmRNAの部分塩基配列で作った5’側、3’側プライマーを用いて目的のDNA断片のみを切り出し、増幅することができる。この技術の実現には塩基配列決定やプライマーの合成技術の進歩が必要であった。その後、耐熱性のDNAポリメラーゼが続々と発見され、また反応温度を正確に制御できる機器が安価に利用できるようになって、今やPCRは種々の分野で不可欠の技術となった。

 機能タンパク質の合成量は転写レベルで調節されている場合が多く、遺伝子の発現量の変化を調べる方法として最近はノーザンブロット法よりも簡便なRT-PCR法がよく行われる。この方法ではmRNAから逆転写酵素を用いてcDNAを合成し、一組のプライマーを用いてPCR反応を行い、mRNA量を決定する。ところが、サーマルサイクラーを一定サイクル数で止め、PCR産物を電気泳動しても正確なmRNAの定量にはならない。そこで、最近はPCR の増幅量をリアルタイムでモニターし解析するリアルタイムPCRが用いられるようになった。この方法では電気泳動が不要であり、迅速性と定量性に優れている。通常、リアルタイムPCR のモニターは蛍光試薬を用いて行い、我々はTaqmanプローブ法を用いている。この方法を用いて我々は心筋の種々の遺伝子発現量を測定し、心疾患の病態および薬物の効果の分子メカニズムを解析している。これらの成果は新たな治療法の開発につながると期待される。

 分子生物学的手法の急速な発展に伴い、生体内での分子の機能を研究するための「個体を用いる方法」も大きな発展を遂げてきた。なかでも、マウス胚を用いた発生工学的手法は個体レベルで遺伝子を自由に操ることを可能にし、今やトランスジェニックや遺伝子ターゲティングは遺伝子の機能解析の常套手段となった。また、クローン技術の登場により、大きな動物の遺伝子操作も可能となり、農学領域や再生医学にも大きな影響を与えるようになってきた。分子生物学の発達が生み出したこれらの技術は今後解決しなければならない新たな倫理的、社会的課題を提起している。

 最後に、21世紀の医療はガイドラインに基づく平均化された医療から個別化された医療に向かっている。臨床医として疾患病態を分子レベルで理解した上で診療にあたることはより病態に応じた医療を可能にすると考えている。